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創価学会作成ニセ本尊から解放された元男子部本部長のブログ

元創価学会員で現在は日蓮正宗の信徒です。学会の邪義とニセ本尊から一人でも多くの創価学会員を救うべく活動しています。

 

2015年09月

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「三ねんねたろう」に学ぶ、学会員の殻の破り方(メルマガ記事転載)

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前回のメルマガで、創価に疑問を持つ学会員が、
集まっているサイトについて書きました。


そんな創価学会員に思うことを
今日はお話ししたいと思います。


それは、最近本を読んでいて気付いたことが
あったからです。


その本とは
「絵本を読むと「天職」が見つかる」というタイトルの本なんですが。

興味があれば、Amazonで探してみてください。


で、僕たちがめざす一生成仏とか、諸願満足の人生とかって、
あなたはどう考えています?


僕は、少しわかりやすく言うと、


人間的に成長して、「理想的な人間」になること。
そうすれば、功徳を積み、諸々の願いが叶う満足な生き方が
できるということ。

(仏法的にはもっともっと深い意味があると思いますが、
 あえてざっくり言うと)

だと思います。


まぁそれが、いわゆる「仏に成る」ってことじゃないかと。


心理学では、マズローという人が欲求五段階説というのを説いて、
理想的な人間について「自己実現」と言いました。

ロジャースという人は、「十分に機能する人間」と言いました。


言い方はちがうけど(言葉の定義では、意味が多少違うのかも
しれませんが)結局 僕たちが目指すべき人間とは
何かについて言いたかったのだと思います。


では、どうすれば、「理想的な人間」になれるのかという話に入りますね。

ちょっと堅苦しくなりましたが、
今日の本題「三ねんねたろう」の話をこれからします。


ーーーーーーーーーーーーーここからーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 むかし、あるところにいつも寝てばかりのお百姓の若者がいました。
働くこともせずにずっと寝ているので村人からはすっかりあきれられ、
「ねたろう「寝太郎」」と呼ばれていました。

 しかし、この若者は最初からねたろうだったわけではなく、もともとは
「もへい」という名前で、朝早くから夜遅くまで働く、非常にまじめな働き者
でした。村人たちも、もへいのなまけた姿など見たことがなく、「あのお兄さん
を見なさい。若いのに感心だ。」と言っていました。

 しかし、それだけ働いているのに、もへいはとても貧乏でした。それはこの村
には田んぼへ水を引く川がなく、雨の降らない夏には稲が枯れてしまうからです。
村人たちは稲が実らないといつも嘆いていましたが、本当に困ったときでも、
水神様を祭って水を恵んでほしいとただ祈るだけでした。

 もへいには病気の母親がいました。もへいは母親をいつもとても大切にして
いましたが、ついに、あるひどい日照りの夏、もへいの母親が、「もう少し、
お米が食べたかった・・・」と言って、死んでしまいました。
 そのことをきっかけに、「どんなに働いてもだめなんだ・・・」と気落ち
したもへいは、その日から魂が抜けてしまったように寝続けました。
三ヶ月、半年経っても起きません。ねたろうが寝ている間も、その村では
変わらず水がなくお米もとれませんでしたが、やっぱり村の者はただ困って
いるだけでした。

 もへいがねたろうになって、ついに三年三ヶ月経った秋祭りの日。突然、
ねたろうは起き出して外へ出ると、となり村を過ぎ、大きな川へ出て、水が
滝のように流れているところまで歩いていきました。ねたろうは、「この川
から水を引けば稲がよく実って、お米がとれるようになる」と言いましたが、
村のみんなは、こんな遠くから水が引けるわけがないとばかにしました。
 それでも、ねたろうはたったひとりで溝を掘りはじめます。遊び半分で
村の子どもたちが手伝いはじめると、溝は着実に伸びていき、その後、日に日に
溝が長くなってくると、とうとう村の大人達もねたろうを手伝いだしました。

 そして次の春、となりの村の向こうの川から水を引く長い用水路ができ
あがります。おかげで、その村はそれから毎年、ちゃんとお米がとれるように
なりました。ねたろうの手柄でみんながとても喜んだそうです。

<参考文献>「三ねんんたろう」文/おおかわえっせい 絵/わたなべさぶろう
(ポプラ社)

ーーーーーーーーーーーーここまでーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

さぁ このお話を読んであなたは、何を感じましたか?


ねたろうって最初まじめに働いていたけど
結局、「うつ病」になっちゃったということですよね。


うつ病には、病前性格といって、うつになりやすい性格ってのが
あるんですって。

その特徴が、まじめで完璧主義。


まさに、ねたろうが、ねたろうになる前がそうですよね。
まじめに働いていたんです。
でも、おかあさんの死をきっかけにうつになっちゃった。


うつ病には過眠という症状もあって、
布団から起き上がれなくなるという特徴もあるとのこと。

まさに 「三ねんねたろう」ですよ。



そしてこの後 ねたろうは、
うつ病になったあとで、大きな成長をとげます。


うつ病の人には、うつになった後 ねたろうのように
大きく成長する人がいるんだそうです。



うつ病の人が大きく成長するために、
空白の期間が必要と言われ、
これをウィリアム・ブリッジズは
「ニュートラルゾーン」と名付けました。


ねたろうは、きっと川の水を引くということを
うつになる前から考えていたと思うんです。


でも、そんなこと言ったら村の人たちからバカにされてしまう。


それで、心の奥にずっとしまっていた。


だけど、本当はやりたかった川の水を引くことを
やらないでいるうちにお母さんが死んでしまった。

「じぶんが周りの反対をおして、川から水を引いていれば
お母さんにもっとお米を食べさせてあげらたかもしれない。
そうしたら、お母さんは死ななかったかもしれないのに・・・。」


ねたろうは、そのことを三年三ヶ月寝続けることで、
やっと自分で受け入れることができた。


そこまで、追いつめられたからこそ、
もへいは自分の生き方、
考え方を変化させることができたとも言えます。



僕も、創価からクビを宣告される前、
一生懸命学会活動を頑張った。


あれだけやったのに苦しい現実は何も変わらない。
逆にさらに、もっとひどくなっていく。


何かおかしいと感じながらも、
そんなことを周りの学会員には言えない。

幹部に指導を受けても、何の解決策も得られない。

活動することに意味を見いだせなくなって、
非活になってから2年程して樋田さんの動画に行きついた。

そのときに、

「自分が本当に正しいと思ったことをやろう。」

と正しい信仰にもどる決断ができました。


自分らしく生きるためには、
たとえ人から批判されても、
自分の考えを最優先させることが大事です。


結局 自分らしいとは、人とは違うということ。
周りの学会員とは違うということになるんです。


ねたろうが、村人と違い、たったひとりで川の水を引いたように。



ねたろうは、うつの後 人生の一大転換をします。


ねたろうのようにうつ病になった人が
このように人生の一大転換をすることはよくあることだそうで、
これを「疾病(しっぺい)の受容」というのだそうです。


僕も、

「自分の人生このままでいいんだろうか。
 このままじゃ 自分がだめになってしまう。」と感じていたからこそ、

樋田さんが

「学会の本尊は、ニセ本尊です!!」と言い切った動画を見て
 自分の疑問に真剣に向き合うことができたのだと思います。


「このまま創価学会にいて、ニセ本尊を拝んだら、自分はダメになってしまう。」


精神科医の髙橋和巳さんは
「絶望することができる能力」ということを言っています。

どういうことかと言うと、

「このままいけば自分はダメになってしまうと、
 八方塞(はっぽうふさ)がりの状態を受け入れることができる能力」のこと
 だそうです。(「人は変われる」髙橋和巳著(三五館)より)

 
「自分の今までの生き方で、このようなつらい人生になってしまった。
 だから、この生き方を続けていけば、また同じような結果が待っている。」
 
こんなふうに自分の今までの生き方の過ちを認めたんです。


これは、つらいものがありますよ。


当時 それなりに創価にいて30年間信心していました。
これをすべて否定するのは、つらいものがあります。

(げんみつに言うと破門後17年間になりますが、
 30年創価にいたという事実は変わりませんからね)

自分の今までの人生はなんだったんだ。と。


でも、いい意味で「絶望することができる」ということは、
絶望に耐えられる心のタフさ、余裕が必要になってきます。


でなければ、絶望した後 立ち上がれなくなってしまいますからね。(笑)


だから、「絶望することができる能力」なんです。


今でも 創価にいて、何の疑問も持たない創価員はもちろん論外ですが、


「何かおかしいな でも こんなこと周りの学会員には誰にも言えない。」
「創価をやめたい。でも 学会員の親や親戚には言えない。」


こういう人が潜在的に多くいるのが今の創価学会の現状です。


「絶望」してください。


そして そこから立ち上がって、はい上がってくる力と心の余裕を
持ってください。


そうすれば、必ず 新しい未来が新しい人生が待っています。


僕もこの絶望を味わいました。


でも、この絶望の先に
「本当の信心」・自分の「使命」を見つけることができました。


それまで創価にいたころは、
絵物語のようにしか感じられなかった
「広宣流布」や「地湧の菩薩の使命」が我がこととして
感じられるようになってきました。


「このまま創価学会にいて、ニセ本尊を拝んでいたら
 自分の人生はダメになってしまう。」

この時に、僕はやっと絶望することができました。


そして、樋田さんと故石岡御住職にお会いして
本当の自分の人生と使命に気付くことができました。


「でも、創価学会をやめるとは言えないよ。」という人。


創価をやめる権利も、
正しい信仰をする権利もあるのに、

それをずっとガマンしたまま生きていくことは、
本当に自分の人生を生きていると言えますか?


周りの学会員を無駄に刺激しないで、
自分の気持ちを大事にして、
時には自己主張して、
思い切って正しいと思う行動を
飛び込んでやってみる。


そんな生き方を創価に疑問を持つ
学会員にはしてほしいと思うし、
そういう人をこそ救うお手伝いをしたいと考えています。

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プロフィール

青木 祥

Author:青木 祥
元創価学会員の日蓮正宗信徒です。
平成20年無慈悲な創価学会よりクビと宣告されました。
創価学会の邪義とニセ本尊の害毒から一人でも多くの創価学会員を救うべく活動しています。

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