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創価学会作成ニセ本尊から解放された元男子部本部長のブログ

元創価学会員で現在は日蓮正宗の信徒です。学会の邪義とニセ本尊から一人でも多くの創価学会員を救うべく活動しています。

 

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樋田×青木 釧路対談リターンズ Fainal (メルマガ記事転載)



いよいよFainalとなりました。

今回は、初の企画モノということで
対談動画を撮りました。

いかがでしたでしょうか。


僕は、対談を通して、
自分の使命の原点をもう一度振り返るとても良い機会となりました。


自分でも気付かぬうちに、
惰性に流されていたり、方向性を誤っていたり
していたことろに対談を通して気づいたわけです。



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樋田×青木 釧路対談リターンズ vol.9(メルマガ記事転載)



前回の御観念文改変についての続きになります。

前回と変更された点に三師供養があります。

大聖人様と二祖日興聖人様への報恩感謝はあるのですが、
三祖日目上人様を削除しました。


これは、いわゆる仏法僧の僧分になるところを
二祖日興上人様しか認めないということなんでしょう。


日目上人以降の御歴代御法主上人を三宝に含めないという
ことで、血脈を否定しようとのあらわれですね。


その時に、三祖日目上人を報恩感謝の対象としては、
整合性が取れないからこれも削除してしまえということですか。



なら現在 創価員が拝んでいるニセ本尊のオリジナルは
日蓮正宗第二十六世日寛上人のお筆になるもの。


代々の御歴代の御法主上人猊下様の血脈を否定したいなら、
今後 このニセ本尊もきっと変更するんでしょうね。


多分 大聖人様御直筆の真筆本尊か
二祖日興上人様のお筆になる本尊
どちらかを持ち出してくるんでしょうか。


大聖人様の御直筆の本尊を今更
創価学会に譲り渡すお寺なんてないでしょうから、
複製してもよいという版権でも買おうということなんでしょうか。


御真筆本尊を所有しているお寺も、
複製ならしてもいいよ と版権ぐらいなら渡すところが
あっても不思議はないのでしょうから。



なんかこの調子だと、
新たな ニセ本尊が出てくるのも
もう間も無くという感じがしてきます。


昨年の会則改変、そして今回の御観念文の改変は
新ニセ本尊への伏線なのかもしれませんね。

樋田×青木 釧路対談リターンズ vol.8(メルマガ記事転載)




先月17日の聖教新聞紙上でご観念文の変更が発表されたようですね。

このように本来の修行に関わることが
コロコロ変わるところを
創価員はどのようにとらえているんでしょうか。


「まぁ 学会本部が決めたことだから
 素直にそれに従っていれば良い。」

という感じでしょうか。


今回の変更箇所は、いくつかありますが、

その中の一つ
諸天供養のご観念文を
ざっくり削除しちゃったんですね。


最初の題目三唱にその意義を込めるって
いうことらしいですけど。


諸天の加護なんか感じられなくなっちゃったから
これでいいということなんでしょうか。


さらにここが重要な変更箇所なのですが、


これまでの「一閻浮提総与・三大秘法の御本尊」を
「法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊」に変えちゃった。


昨年の「弘安二年本門戒壇の大御本尊様を受持の対象にしない」という
会則改変から 今回の御観念文変更で、
戒壇の大御本尊様を思わせる表現を一切無くしてしまいましたね。

一閻浮提総与も三大秘法も一応まだ戒壇の大御本尊様を
思わせる表現ではありましたからね。


そこで、

「法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊」って一体 何でしょうか?


これなら、将来どういう本尊持ってきても、
いかようにも解釈できる記述にしましたね。


中央主題に南無妙法蓮華経とでも書いてあれば、
どんな本尊でもオッケーってわけですか。


今日は地元の正宗寺院に御講参詣させていただいて、
ご住職の御法話を聞いていました。


そのお話の中で、「化儀・化法」のお話がありました。


日蓮正宗では、「化儀即化法」であり、「化儀と化法は本来、一体なのであり、
この基本は変わらないことを化儀化法の一体という」ということを教えていただきました。


創価学会のように、会則で拝む本尊の主体が変更になったり、
勤行の仕方が変わったり、御観念文がコロコロ変わるなど 
大聖人様の仏法では、ありえないことです。


予想はされていましたが、
最近の創価員が主催するブログを読んだみたら、
戒壇大御本尊様は大聖人後世のものであることが証明されたなんて
ざれ言をのせていました。


創価員の中にも 戒壇の大御本尊様を自ら否定する輩も
あらわれて、それを堂々とブログにアップする時代になったんですね。



正法から一度ころがり落ちると、自由落下の方程式と同じように
加速度がついて、落ちていくのが速い速い。(笑)

樋田×青木 釧路対談リターンズ vol.7(メルマガ記事転載)




前々回のメールで、なぜ逆縁の姿を見せる創価員は、
ニセ本尊を正しいと思い込んでいるのかについて書きました。

前回は、人間の持つ錯覚を通して、
見えるものすら見えないということを
たとえにお話ししました。


今回はその続編になりますが、
人間の持つ心理学的な特性から

「なぜ創価員はニセ本尊をニセモノと思わないのか」

について書いていきます。


ここで、実際にあったあるお話しをします。


ーーーーーーーーーー
ある、銀行強盗の話
ーーーーーーーーーー


ヨーロッパのある街で
男が銀行強盗に入りました。


そのとき、男は刑務所からの仮釈放中の身。
犯罪者が再び犯罪を繰り返したわけです。


しかもその犯罪は、
他人のお金を奪うためにマシンガンも用意して、
必要とあらば、
他人の生命を奪うこともいとわないつもりの行動でした。


けれど、計画は失敗に終わります。


当初の計画は失敗に終わりましたが、
駆けつけた警官に発砲して、
テレビで生中継される人質立てこもり事件に
発展することになりました。


罪のない一般人の生命を危険にさらして、
警察と交渉します。


男の要求は

・大量の現金
・銀行強盗で何度も捕まっている友人の解放
・逃走すること



その時、もしあなたがその場にいて
人質になってしまったとしたら、
どんなことを感じますか。


ーーーーーーーーーーーー
「ストックホルム症候群」
ーーーーーーーーーーーー


じつはこの事件で衝撃的な出来事が起こりました。


人質の女性が犯人をかばって好意を感じるという現象が起きたのです。


犯人が寝ている間に、その人質女性は逃げるどころか、
自ら銃をとって警官に向けて敵対したり、
事件後には、犯人と結婚までしてしまったのです。


この現象は、事件の起きた都市名にちなんで
「ストックホルム症候群」として
精神医学用語にもなりました。




ストックホルム症候群とは

「犯人と長時間過ごすことで、犯人に対して過度の同情や好意等を抱くこと」

(Wikipediaより引用)


ここで単に
銀行強盗や恋愛や心理学について
話をしたいわけではありません。


このメルマガの最初で提示したように、

「なぜ創価員はニセ本尊をニセモノと思わないのか」

と同じ原理がここにあるからです。


上に書いてある「犯人」という言葉を「ニセ本尊」に置き換えて読んでみてください。


「ニセ本尊と長時間過ごすことで、ニセ本尊に対して過度の同情や好意等を抱くこと」


と読めますよね。


えーーーーって思いますけど、


人間には、ストックホルム症候群ような心理学的な特性があるんですから、
あながち否定できるものではないかもしれません。


創価員が、人質に取られたような命の危険を感じるような状況にはないでしょうが、
ニセ本尊と一緒に生活し、ニセ本尊に真剣に祈る中で、自分の人生・運命を
ゆだねていった結果、
ニセ本尊に過度の感情を抱くというような現象が起きていても不思議ではありません。



もちろん創価員全員がそうだというわけではありませんが、
ニセ本尊をニセ本尊と認識できない創価員は、もしかしたら
ニセ本尊に過度の信仰心を持っているのかもしれません。



最悪なのは、ニセ本尊そのものに魔人・鬼神が入り込んでいるわけですから、
ニセ本尊に対する執着が簡単には無くならないのだと思いますね。

樋田×青木 釧路対談リターンズ vol.6



前回の記事で「錯覚の科学」に基づく、
人間の認知の仕方についてお話ししました。


これと同じようなことを最近聞いたので
今回お話しします。


それは 


あなたが五感で感じていることは、
あなたの頭(脳)が捏造したものである。

と言うことです。


ハッ ?? って感じですよね。(笑)


例えば 名前を呼ぶという
行為の場合、


大声で「青木」と呼んでも、
小声で「青木」と呼んでも、
怒って「青木」と呼んでも、
優しい声で「青木」と呼んでも、



同じ「青木」という人の名前を呼んだ
と 脳は認識するということです。


なんだ当たり前のことを
と思いかもしれませんが、


厳密に言うと、一つ一つの音声は
違います。



でも、どれも名前を呼んでいるという
ように脳は認識するわけです。


それは、「青木」という音声が
人の名前をあらわしているという
過去の記憶がその人にインプットされている
からなんですね。


で この考えを発展させていくと、
僕たちの思考は、すべて過去の記憶・取り入れた思考によって
成り立っているといえるのです。


どういうことかというと、
知らず知らずのうちに、
親、兄弟、友達、先生など周りの人の
思考が自分の中にインプットされることで、
あたかもそれが自分の思考のように
思ってしまっているということです。


負の思考をインプットすれば、
負の思考が身につき、
自分の見える・聞こえる・感じる世界が
負の思考を元にした世界になるわけです。


逆に正しい思考(ここでは、何を正しいというのかは
置いといて)をインプットすれば、
そのインプットした思考を元に、
自分の(正しい)世界が見えてくるということです。


何が言いたいかというと・・・。



「娑婆即寂光」とか

「浄土といい穢土というも土に二の隔てなし」

ということの あらたな見方ができたということです。


これまでも
概念として、仏の住む世界(寂光土)と地獄・餓鬼・畜生の住む
世界は、主体となるものによって同じ世界でも とらえ方が違うことによって
浄土にもなり穢土にもなるということはわかりました。

僕たちの住む娑婆世界も仏様の住む寂光土も
実は同じなんだということも、概念では理解したつもりになっていました。


僕は、でも、それはあくまでも御書にそう説かれており、
何となくそんなものかなぁという程度の認識でしかなかったわけです。


だって、僕には、仏様と同じようにこの娑婆世界は、寂光土にも
見えないし、
現実世界は、仏様が住む世界と同じとは感じられませんものね。


でも、福徳豊かに、正法を修行し、福運というか
正法の果報を得ていけば、
また、先ほどの自分のインプットされたものによって自分の思考が
形成されるとするならば、次のように考えられるのではないでしょうか。


仏様と同じ修行を積めば、
仏様と同じように見えるように世界が見え、
仏様と同じように聞こえるものが聞こえ、
仏様と同じように味わうことができ、
仏様と同じように話すことができ、
仏様と同じように考えることができ
仏様と同じように感じることができるのではないか と。


だから、たとえそこが、凡夫にとって穢土であり、
娑婆世界であっても、
仏様にとっては、浄土であり、寂光土に
本当に見えるし、感じられるのだと。


何やら先ほどから 同じことをくどくど
言っているように思えるかもしれませんが、
これは、ホントすごいことですよ。


だって同じものを見てるのに、
主体となる人によって、
全く別の世界が見えるということですから。


くどいようですが、(笑)

僕には娑婆世界にしか見えないこの現実が
仏様には、寂光土にホントに見えるってことですからね。


あぁ 結局 同じような言い方しかできないですね。(苦笑)


これで終わりでは、せっかくここまで読んで
くれたあなたに失礼なので、もう少し続けます。


つまり、今は人によっては、地獄にしか感じられない
現実があったとしても、
取り入れる思考や経験によって、
それがこの世で唯一正しい大聖人様の仏法であれば、
見える世界が良くなるし、感じる世界が正しく変化するということ
になるわけです。


簡単に言えば、人生良く変わっちゃうってことですよ。



これを 大きく「宿命転換」とも言え、
さらには「一生成仏」とも言えるのだと思います。


だから、僕たちは、
洗脳され、狂ったたわ言しか言えない創価員からの
くだらない誹謗中傷を全く気にすることなく、
御法主上人猊下様の御指南を仰いで、
行動していけばいいということですね。
プロフィール

青木 祥

Author:青木 祥
元創価学会員の日蓮正宗信徒です。
平成20年無慈悲な創価学会よりクビと宣告されました。
創価学会の邪義とニセ本尊の害毒から一人でも多くの創価学会員を救うべく活動しています。

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