合コン

創価学会作成ニセ本尊から解放された元男子部本部長のブログ

元創価学会員で現在は日蓮正宗の信徒です。学会の邪義とニセ本尊から一人でも多くの創価学会員を救うべく活動しています。

 

対創価学会

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南国高知初遠征(メルマガ記事転載)

暑い日がつづきますね。

と言っても 僕の住む釧路は24、5度ですけど。

それでも、日中外に出れば30度近い日もあったり、
僕にとっては、けっこう ヘビーです。(笑)


で、今日は 前回のメルマガで予告したとおり、
活動報告の続報です。


では、いきまーす。


昨日、避暑地北海道釧路から なんと南国高知初上陸。

途中の大阪伊丹空港で 夏の避暑地釧路をアピールする
特設コーナーがありました。

この時期だけ 大阪伊丹ー釧路間の飛行機が飛んでるんですね。
今回僕も初めて利用しました。


ということで、北海道からやって来ましたよ と。
「よさこい」つながりかな?
(ちなみに来週高知よさこい祭りがはじるそうです)

冗談はさておき、
今回 なにゆえ 高知に来たのかと言うと・・・。


高知の学会婦人部の方から先日メールが
届いたのが ことのはじまりです。


ご両親がバリバリの創価学会員で
自分も生まれたときからの創価学会員。


お父様がガンになるも、
「池田先生!!」への洗脳が解けず
生活も困窮。
家が一軒建つほど あれこれ学会に
お金をつぎ込まれたそうです。


自分も悪性の腫瘍が見つかり、
子どもも重い病気にかかるなど。


これは おかしいとネットを検索して
学会の本尊がニセ本尊であることを知る。



そこで、僕にヒットしてたどり着いたとのこと。



その後 この婦人の方と電話で詳しくお話を伺ったところ、


もう前々から創価学会はおかしいとは思っていた。

自分を含めて身内の家族の病気や
先祖のお墓や回向のこともあるので、
学会を辞めて、ニセ本尊をどうにかしたいとの
ことでした。


そこで、ニセ本尊の処分と日蓮正宗の帰伏を
お話したところ、

ご本人と旦那さん、お子さんお二人
ご家族揃って 勧戒・御授戒を受けたいとのことで
話がまとまりました。



そして、無事 昨日 高知の日蓮正宗のお寺において、
ご家族揃って、勧戒・御授戒・御本尊様下附を受け、
創価学会の魔の鉄鎖を断ち切り、
日蓮正宗に帰伏することができました。( ゚Д゚ノノ”☆パチパチパチパチ



と言う事で 今回 高知初遠征と相成ったわけです。



お寺を出ると、諸天が歓喜しているかのごとく
きれいな夕空が広がっていました。

高知夕空1
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恒例 2015札幌駅街頭折伏


今年も夏休みに入り、帰省・観光でにぎわう札幌駅で

街頭折伏を敢行しましたー。

札幌街頭1


今回のミッションに参加したのは、

今年も長野本陣より青年部を中心に参戦。

街頭の雄 滋賀のTくん。

地元札幌メンバーと豪華な顔ぶれになりました。



毎度のことながら、
街頭折伏がはじまると、創価員らしき人の反応が
おもしろすぎる。


なんで 多くの人が行き交う街頭で
誰が創価員かわかるのかって?


それが はっきりわかるんですよね。


みんな 同じ反応するから。


まずは、ひんじゅく(顔をしかめる)。
何度も こちらを向いて にらむ。


もうバレバレじゃないですか。


そして 決定的なのは、

「そこの あなた! あなた 学会員でしょ。」
と にらみつける人に向かって声をかけると、
さらに、鬼のような形相でにらみかえしながら、
去っていきます。


今回は、こんな人もいました。


交差点で信号待ちをしている中年の夫婦らしき人たち。

なんと こちらがしゃべりはじめると、

婦人は、あからさまに両手で耳をふさぎ出しました。

これまた壮年は、片手で耳をふさいでいます。


そんなことしたって、声は聞こえてくるでしょう?
何やってんだか。


まるで いやいやしている子どもみたいでした。


この他にも 少し歩いては、こちらをしかめっ面した顔
で見る壮年。


よっぽど イヤなんでしょうか?


自分たちの拝むニセ本尊の実態を 札幌市民にばらされて
困っているんでしょうか。


まぁ 堂々と反論してくる 創価員も 0(ゼロ)。


せいぜい さっきのような人たちのように
情けない姿をさらすだけでした。


それ以外の 札幌市民のみなさんの反応はけっこう
よかったですよ。


一緒に渡したチラシを受け取りに来る人。

受け取ってすぐにチラシを見入る人。


現代の一凶をいつまでも野放しにしておくわけには
いきませんからね。


さぁこれから街頭を始めようとすると、
それまで時折パラパラと降っていた小雨が
傘をささないといけないぐらいの本降りに。


でも、そんな雨が降る中で街頭をはじめると、
コチラの熱気が諸天に通じたのか、次第に
雨も止みんできました。


そして 街頭折伏が終わった時には、
あの雨はなんだったんだというぐらいの
雨上がりのさわやな空。


まさに 街頭折伏をさせまいとする
魔の働きと それを打ち破った後の諸天
の姿を感じることができました。


本陣長野の舞台は、別働隊として、
札幌中心部で活動。


本格的な夏を迎え、暑さを吹き飛ばす勢いで
本年後半もやりますよ。(笑)

樋田×青木対談in仙台 配信決定!

今年の初めに 樋田さんと対談動画を録りました。

詳しい経緯は メルマガや動画をご覧になっていただければ
と思います。

動画に合わせて メルマガでは補足、解説をしながら
配信していく予定です。


メルマガ登録はこちらから


樋田×青木対談in仙台001 オープニング

分身散体の悪用(メルマガ記事転載)

昨年秋の創価学会会則改変において、
弘安二年の本門戒壇の大御本尊様を

「受持の対象にしない」

と明言したことについて音声を録りました。


この会則改変についての音声は、
昨年末に前半、そして今年に入ってから後半を配信しました。

今回は、その時の音声の補足記事になります。

 

<分身散体の悪用>


  平成14年の会則改変ですでに「本門戒壇」の文字を削除したときに
  日蓮正宗教学部から出された文書の中

  http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jpn/p-deta/sokagakkai/soka_2j.htm
  
  で書かれていますが、


  「三大秘法抄」「一期弘法付属書」また「六巻抄」に富士山に戒壇を建立すべきと
  明示されているわけです。

  
  にもかかわらず、原田会長は、特定の場所に安置されている戒壇が根本の本尊であることを
  否定する。


  
  創価学会は「御書根本」と言うならば、
  なぜ富士山に戒壇を建立することが御書で明らかなのに、
  戒壇なかんずく本門戒壇の大御本尊様の場所が特定されていることを否定するのでしょうか。

  
  それはただ 大石寺御安置の本門戒壇の大御本尊様を否定したいがための、言い訳にしかすぎない
  のは明らかですよね。


  ここで、本門戒壇の大御本尊様と各家庭の本尊の例えを「電源と端子」になぞらえ、そんな本尊観は
  世界広布の上では阻害の原因だと言っています。


  つまり世界中から大石寺に登山することは、
  場所も遠いし面倒くさいじゃないかということを言いたいのですね。



  では、阿仏坊が遠く佐渡の地から身延の大聖人様のもとまで高齢の身を省みず
  参詣されたことも 今は時代遅れだといいたいんでしょうか。



  この原田発言には、本門戒壇の大御本尊を軽視し、各家庭の本尊で事が足りるとするのは
  こういう理由があるからなんですね。



  「分身散体」という教義があって、
  それは、他土の衆生のために仏がその影の姿を十方にあらわすこと
  を言うのですが、これを自分たちに都合のいいように解釈しているわけです。


  「分身散体」の意義があるからといって、「他土の衆生が分身の仏(家庭の本尊)を拝み、
  本仏(大御本尊)を拝まなくてもいい」
  だとか、「本仏(大御本尊)より分身の仏(家庭の本尊)の方がありがたい」ということにはならないわけです。


  だから各家庭に御本尊様があるからといって、本門戒壇の大御本尊様を拝まなくてもいいという
  ことは、仏様の御仏意に背く行為になるんですね。

  
  こういう教義を逸脱した「分身散体だからいいじゃないか」という考えが
  この発言の根底にあるわけです。

創価員にみる大衆性(メルマガ記事転載)


前回のチラシ撒きみたいな活動の具体的なあり方(各論)ではなく、
総論的な思考の部分をシェアしたいなぁと思います。

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1、「大衆」とは

2、 創価学会員=大衆

3、 少数派としての法華講

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1、「大衆」とは


あなたは、「大衆」と言われて何を連想しますか?

できれば ちょっと考えてから 次 読んでくださいね。







準備は いいですか?


大勢の人・民衆・みんな・一般の人と
いうような意味でしょうか。

ならば  あなたは「大衆」ですか?


「大衆の反逆」という本を書いた哲学者のオルテガは、

その著作の中で「大衆」をこう定義しています。


「大衆とは、みずからを、特別な理由によって、
 ーーーよいとも悪いともーーー評価しようとせず、
 自分が<みんなと同じ>だと感ずることに、
 いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じて
 かえっていい気持ちになる、そのような人々全部である。」と。

さらに、大衆の特性として

「大衆は、すべての差異、秀抜さ、個人的なもの、
 資質に恵まれたこと、選ばれた者をすべて圧殺するのである。
 みんなと違う人、みんなと同じように考えない人は、
 排除される危険にさらされている。」

ここまで読んで 何か 「大衆」って わかってきました?


私達の知る人たちの中に、
オルテガの言う「大衆」にそっくりな人たちいませんか?


そう 私は、オルテガが語っている「大衆」というのは、
まさに「創価学会員」のことだって思うんですよね。
(ここは「顕正会」に置き換えてもいいかも。)
 

2、 創価学会員=大衆


自分のしていることが、正しいか間違っているかの判断を
自らしようとしないで、
創価学会という「組織」の一員であること、
そして「組織」から言われている事(やらされている事)を
無条件に受け入れようとしている姿が 
まさに創価学会員そのものだと思います。


そして 自分たちと違う人、自分たちと同じように考えない人を、
排除しようとするところなんか もう 全くその通りではないですか。


そういう意味でも 私達は、
「大衆」であってはならないと思います。

いつの間にか 「みんなと同じ」だからそれでいい。という
感覚でいると、知らず知らずのうちに「大衆」化してしまうんですよ。

創価学会ではよく「民衆」と言う言葉使われていますが
これは「大衆」と同義または類義語なんですね。

このことからも、まさに創価学会がいかに
「大衆」の集団であるか、と言うより
「大衆」であることを目指している団体だということが
よくわかりまよね。


平成2・3年に第二次宗門問題がおきたとき、
「何で自分は、何の疑問も持たずに創価学会の中に居続けたのか」と
今 あらためて思うと、まさに「大衆」の中の一人だったんだなぁと
思うわけです。


3、少数派としての法華講


さらに「大衆」をもっと大きな枠でとらえれば、
それは未だ正法を信じていないすべての一切衆生とも
言えますよね。

だから私達は、「大衆」でないことを特徴とした集団であるべきだし、
ある意味、常に少数派であるべきだと思うんです。

これは何も一切衆生の成仏・広宣流布を否定する事では
ないんですよ。

少数の人間が、多数の人々から分離するために団結するという
ことなんです。

これは、まさに今の法華講のあり方と一致するなぁと思います。

各支部(少数派)を形成する事で、
多数の人々(大衆)から分離するというのは、
広宣流布を目指す上でも、
とてもいい組織のあり方なんじゃないですかね。

今回は少しアカデミックな感じ(?)で
考えている事を伝えたいなぁと思い書いてみました。
プロフィール

青木 祥

Author:青木 祥
元創価学会員の日蓮正宗信徒です。
平成20年無慈悲な創価学会よりクビと宣告されました。
創価学会の邪義とニセ本尊の害毒から一人でも多くの創価学会員を救うべく活動しています。

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